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園児刺殺事件   

滋賀県長浜市で先日、園児二人が同級生の母親に殺害されるという事件が起こりました。容疑者は動機として「自分の子が仲間はずれにされているように感じていた」「自分の子が他の子となじめず、このままではダメになると思い殺した」などと述べているようです。

実際にそのような事実があったのかどうかは分かりませんが、容疑者の供述が本心だとしたら、なぜこのような犯行を犯すまでに追い詰められてしまったのでしょうか。

以前から容疑者は精神的な不調を訴え病院に入院、通院をしていたことがあるようですし、事件の数日前からも不眠などに悩まされ不安定な状態にあったようです。

しかし周りには何の問題も無かったのか、容疑者が追い詰められたのには周りの環境にも原因があったんじゃないか、と思うこともあるわけです。今回の容疑者は中国籍であり、正直日本人全員が容疑者のことを特異な目で見ていなかったとは言い切れません。もちろんそんなことは全然気にしないという方もいるでしょうが、やはりどうしても意識してしまうという方もいると思います。あるいは無意識のうちに態度を変えてしまっていた人もいるでしょう。

とすると、たとえあからさまでなくとも、意図的ではなかったとしても、ほんの少しの普段との違いが、容疑者に影響を与えることになってしまったということもあると思うわけです。まあ実際の状況を知ることが出来るわけではありませんので、あくまで可能性があるとするだけのただの想像に過ぎませんが。

そもそも最近の環境だけでなく、もっと昔、子供のころどのような環境で育ってきたのかも重要なことかもしれません。いまさらそんなこと言ってもどうにもならないわけですが、こういうことを考え始めると僕は容疑者を責められなくなるのです。もし僕が容疑者であったなら、つまり容疑者とまったく同じ環境で育ち、同じ出来事を体験し、同じ状況の中にいたならば、僕は犯罪を起こさずにいられたのだろうか。

おそらく答えは「No」です。実際の容疑者の心情を正確に汲み取ることなど出来ませんが、場合が場合なら僕は犯罪を犯さない自信がありません。結局僕と犯罪者の違いなど、たまたま育った場所と環境が違っただけのことだったのではなかろうかと。そんなことを考えると責められなくなるわけです。だからと言って許すことも出来ないわけですが。・・・なんか矛盾してますね。

今回の事件だけに限りませんが、犯罪を起こした人を責めるだけでは何も変わらないと思うんですよね。社会全体の問題として、一人一人が意識を持って取り組んでいかなければならない問題だろうと。今回は容疑者の長女が事件現場に居合わせており、おそらく大きなショックを受けたことでしょう。今後も大変な生活を強いられるかもしれません。その様な人に対してどう接していくのかが大切なことなのでしょう。

などと偉そうに語ってみましたが、実際そんなにうまくはいかないんでしょうね。もし被害者が僕の大切な人だったとしたら、僕は有無を言わさず犯人をぶち殺したいと思うかもしれません。きっとそれが現実でしょう。頭で分かっていても感情を抑えられるとは限らないわけですから。むしろ感情が優先されてまっとうな思考など出来なくなるのかもしれません。

・・・難しいですね。

by sabasuke | 2006-02-20 03:26 | 時事

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