善行   

「誰かのために」
本日このような言葉を聞く機会があった。
この言葉を聞くたびに僕は思う。
本当に「誰かのため」だけに行動することは可能なのか?
全ての行動は「自分のため」に行うものではないのか?

という話は以前書いた記憶がある。
だが今日は、あえて同じ話をもう一度書いてみようと思う。
どうせ他に書くネタもないし。

いや、これは決して手抜きではない。
一度書いたネタをわざわざもう一度書いてみるという、
いまだかつて誰もやったことのない画期的なアイデアなのだ!
僕のオリジナリティー溢れる行為なのだ!
そういうことにしておく。

では話を戻そう。
「誰かのためになりたい」
「困っている人を助けたい」
こういった純粋な気持ちを否定する気はない。
人間が持ち得て当然の気持ちであると思う。

ただこういった感情に基づく行為は、
俗に「偽善」と呼ばれることもある。
まあそれが善なのか悪なのかは今回は置いておく。

その「人のために」という気持ちは紛れもなく本物であろう。
だがその「気持ち」を抱いているのは自分自身なのである。

「誰かのために何かをしたい」と自分が思ったから、
その欲求に従って行動に移す。
つまり「誰かのために何かをする」ということは、
ただ自らの欲求を満たすための行為に過ぎない。
その結果として人のためにもなっているというだけの話だ。

だがそれは決して悪いことではないだろう。
たとえ自分のための行動であったとしても、
ついでに他の人も幸せになれるならその方が良いと思うのは当然だ。

ゆえに僕は思う。
「偽善」とは何と素晴らしき行為なのであろうか。
大いに人々の役に立っている。

対して「偽善」ぶることを嫌う人もいる。
人間なんてそんなにたいそうなものではないと
悟ったようなつもりになり、
他人の行為に口出しこそすれ自分は何もしない。
まさに何の役にも立っていない。

結局偽善であろうが偽悪であろうが、
全ての行動は自分のために行うというのは皆に共通した事実である。
ただその行動が周りに与える影響に違いがあるだけだ。


とまあこのように偉そうに語っている僕が、
口を出すだけで何もしない役に立たない人間であることは、
言うまでもない。
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by sabasuke | 2007-01-16 03:10 | 雑記

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