隣人は静かに笑わん   

明治期、日本に滞在した英国の言語学者チェンバレンは「日本事物誌」を著した。
そこでは日本人をこう語る。

「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
 実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」


というのは今日の新聞(12月20日)に載ってた話。
なんだかええ話ですな。


昔の人の暮らしはよく知りませんが、
普通に考えて生活レベルは今よりもずっと劣っていたでしょう。
貧しい暮らしを強いられていた人が大勢いたでしょう。

ただおそらく昔はそういう人がほとんどだったでしょう。
周りを見渡してみても似たような生活を送っている人ばかりだった。
だから周りと比べて自分を卑下するようなことはなかった。

むしろそんな環境だったからこそ、
みんなで助け合い、協力し合うようになっていった。
そしてそこに生まれるのは「思いやり」の心。
それがあるからこそ「貧乏」であっても「貧困」にはならない。

では現在はどうでしょうか。
昔に比べりゃ生活レベルはずいぶん底上げされたでしょう。
しかし相変わらず格差はあります。
あっちを見ては、こっちを見ては、
自分を他人と比べて愚痴ります。

能力に見合った報酬を得られる、
努力をした分報われる、
それはとっても素晴らしいことです。

ただ「結果」を重視しすぎる、
すなわち「競争社会」が形成されてしまったがゆえに、
最近は人と人との横のつながりというものが、
希薄になってしまっているのではないかと思うのです。
そして失ってしまったものは「思いやり」の心。
ゆえに「裕福」であっても「貧困」になる。

なんでも最近都会では、
「隣に住んでる人の顔も知らない」
って人が結構いるらしいじゃないですか。

いや、僕も隣に住んでる人の顔知りませんけど。
なんてったって僕は引きこもり。
昔住んでたおじいさんとおばあさんなら知っていますが、
ずいぶん前に亡くなってしまったので、
今住んでいる人の顔は全然分かりません。

以前近所の人から家に、
「昨日の夜怪しい奴が外をうろついてたぞ」
って連絡が来たことがありました。

・・・僕のことでした。

そんな風に見られてしまう僕は情けないですが、
そういう連絡がすぐ入るのは「つながり」がある証拠でもあります。


つまりですね、
「豊かな生活を送る」ことと、
「豊かな人生を送る」ことは違うと、
まあそういうことなのでしょう。

果たして今の我々は本当に
「豊かな人生」を送れているのだろうか?


なんかいつになく真面目な記事になってしまった。
・・・まあたまにはこんなのもいいか。
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by sabasuke | 2006-12-21 03:19 | 雑記

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