心友   

「愛友 細井岩氏」「良友 武市庫氏」・・・。正岡子規は『筆まかせ』でさまざまな「友」とその名前を挙げている。「好友」「敬友」に「益友」「旧友」、さらには「直友」「少友」と続いて、全部で十九人。「畏友」には夏目金(漱石)がいて、「剛友」では海軍の秋山真(真之)の名を記した。短い生涯でも多彩な友情に包まれたのは子規の幸福だろう。

彼に及ぶべくもない無名の身でも、これに似た友人録はある。「畏友」はともかくも、愛すべき友、良き友、好ましき友、尊敬すべき友と、名を挙げることはできる。多くの人がそうであるように大半は十代や二十代からの友だ。はたから見れば「悪友」同士でも、その絆は得がたい幸福である。


今日の新聞に載ってた記事を一部抜粋しました。
これを読んで思ったこと。
「友達ってなんだろう」

ほとんど人付き合いの無い生活を送っている僕にも友人はいます。
小学校、あるいは幼稚園のころから親しくしている友達。
さすがに昔のようにしょっちゅう会って遊ぶというわけにはいかないけれど、
時々一緒に出かけたりすることもある。

でもたまにふと思うことがある。
「本当に僕らは友達なのだろうか」と。
もしかしたら友達だと思っているのは僕だけなのではないだろうか。
向こうは別に友達だとは思っていないのではないのか。

そもそもどうなれば「友」と言えるのか。
互いに心が通じ合って、初めて「友」になるのだろうか。
それとも自分が「友」だと認めた相手はみんな「友」になるのだろうか。
例え信じていた相手に裏切られたとしても、
それでも自分がその相手を「友」だと思えば、それは「友」なのだろうか。

お互いが信頼を寄せ合えなければ友ではないのか。
自分が心を許せる相手が友なのか。
色々とゴチャゴチャ考えてみましたが、1つ気付いたことがあります。

僕が自分で友達だと言ってる相手に対して、
「君も僕のこと友達だと思ってる?」
なんて疑いの念を持ってる時点で「親友」っぽくないよね。

よし、難しく考えるのはやめた。相手がどう思ってたっていいや。
僕にとって友達は友達だ。今友達じゃないならこれから友達になればいい。
友達だから信じよう。もし裏切られたって構わない。友達なんだから。

「疑って安全を保つより、信じて裏切られた方が良い」(花の慶次10巻より)

ってな感じですよ。本当にこんな風に思えりゃカッコいいですけどね。

仕事してるのかしてないのか分からない、はたから見ればすっかり不良、
たまにぶらっと人の家に来る度にゲームを借りていくが1度も返したことが無い我が友よ。
もうかれこれ3年ほど連絡無し。生きているのか死んでいるのかも分からない我が友よ。
お前ら元気か? ・・・ってか友達・・・だよね?
[PR]

by sabasuke | 2006-05-26 02:41 | 雑記

<< グレープ味 テイルズオブシンフォニア ラン... >>